会社に向かないから会社をつくることにした。

最初に断っておくと、会社に向かないからといって会社をつくればいいなんてのはおかしい。それは承知の上で、会社に向かないから会社をつくることにした。

2018年の6月をめどに、このサイトの会社の法人化を目指そうと思う。「言葉」と「企画」を軸にして、東京に拠点を置きつつも、関西だとか関東だとか場所の区分けには囚われることなく仕事をしていけたらありがたい。詳しくはトップページからご覧いただけたら嬉しい。

先日、所属先の株式会社人間には「会社を離れる」と伝えた。「辞めるじゃなく離れるってなんだ」と我ながら思った。大阪へノープランで移住してきたときのきっかけでもあった「家族」が関西圏から離れてしまったことも要因のひとつだけれど、それだけではなさそうだ。そこで、「どうして会社をつくるのか」について今の自分の考えを整理してみた。すると、4つほど理由が見つかった。

極めて個人的な話なので誰の参考にもならないかもしれないけれど、万が一、この文章を読んで「あ、わかるわかるー」などと鼻くそをほじりながらでも共感してくれる希少な人たちと出会えたらとても嬉しいことなので、以下、恥ずかしながら書いておこうと思う。

【理由1】会社をつくるしかなかったから

自慢じゃないけれど、わたしは約10年で10職以上を流転してきた。たしかに。自慢じゃない。青臭い話だけれど、自分らしく働ける場所とやらを探していたのかもしれない。そして、株式会社人間と出会った。

朝から晩まで、オフィスのすみっこのデスクで一人きり。周囲からは隔絶された空間を好んで作業し、会議では一言も発しない。やっと口を開いたと思ったら致命的に口が悪いし、相手が偉そうな人であればあるほどいじったりつっかかったりして和を乱す。そのくせ収拾はせずに、定時になればさっさと帰る。

閑職に追いやられてひねくれてしまった腐れ公務員のようなワークスタイルを貫くわたしを、株式会社人間はなにも咎めず、むしろ面白がってくれた。そんな今までにないくらいに自分らしくいられる環境は快適で、自ずと仕事もどんどん面白くなっていった。「ずっとこのままでもいいかもな」と思えたほどだった。それなのに、またしても職場を変える気を起こしたわけである、わたしは。

となると、そもそも、「自分らしく働ける場所を探す」ということ自体が間違っているのではないかと思った。だって、自分らしく働けていたわけだから。これ以上、環境を変えるのではなく、自分を変えなければキリがない。大変遅ればせながら、35歳になって気づいた。

だから、新しい環境を探すのではなく、新しい環境を自分でつくることにした。こんなことを言うと怒られるかもしれないけれど、「独立するぞ!」と意気込んで会社をつくったというよりは、「つくるしかなかった」といった感じなのかもしれない。

【理由2】人生なんて自分のせいだから

仕事をしているときに、会社のやりかたに不満を覚えることは誰にでもあると思う。わたし自身も、そういう苛立ちを抱えるのは当然のことだと感じていたし、酒を飲みながら愚痴をこぼして笑いあうこともあった。だけど、そんな自分に、ふと違和感を覚えた。

いい加減、会社のせいにしてグダグダ言っている暇があったら、自分のやりかたで会社をやってみればいいじゃないか。自分でやってみて成功も失敗もしないままに文句ばかり垂れながしているのは甘えているし、ちょっと卑怯である。しょせん、人生なんて自分のせい。他人のせいにしたら、それは人生ではなく、ただの運命だ。運命なんかに人生を託している場合じゃない。淡々と、自分のせいにして生きていこう。

そう思ってしまった。根拠はない。

【理由3】まったく同じ方向性を共有することは難しいから

株式会社人間のスローガンは「面白くて変なことを考えている」だ。このフレーズを見たときに、この会社に入りたいと思った面もあったほど、シンプルで分かりやすい。今でも「すごいなあ」と思う。ただ、そんな無駄のない言葉でさえも、定義は人それぞれ違ってくる。

たとえば、わたしにとっての「面白くて変なこと」は、「なんでもないものとして見過ごされているところに潜んでいる楽しいことや美しいこと」なのだと今は考えている。株式会社人間でやったことでいえば、「寝たきり銀幕デビュープロジェクト 〜高齢者は、往年のスターだ〜」や「PUBIC HAIR GROOVING 〜アンダーヘアで音楽をつくる〜」が自分の方向性に近しい。詳しくは、わたしの個人のポートフォリオをご覧いただけたら嬉しい。

あたりまえだけど、こんなふうに、それぞれの解釈は人が違えば異なる。ただ、それは、まったく同じ方向性を共有するのは難しいことも意味しているのかもしれない。認識の違いを同じ組織のなかで全員がぶつけあうことで良いものができていく面もあるだろうし、それぞれの角が削られて丸くなってしまう面もあるだろうし、それはそれでいいと思う。

ただ、わたしは、それぞれが自分の会社をつくって、そこで自分の方向性をひたすら追求していくのもありじゃないかなと考えるようになった。まったく同じ方向性を共有するのは難しくても、ともに「目指す」ことはできるのではないかと思ったからだ。

【理由4】まったく同じ方向性を目指すことはできるから

きっかけは、大阪へ移住してから約2年が経った2017年の年末のこと。あえてプライベートでは一度も戻らなかった東京へ帰り、自分が好きなメンバーと三人で、年始にかけて何度か遊んだ。ひとりはとある面白サービスでヒットを飛ばしている創業者で、ひとりはとある書籍でヒットを飛ばしている書き手だ。

新宿ゴールデン街の『ロベリヤ』という店で呑んでいるときに、その場の流れで「会社をつくってみようか」という話になった。三人で一緒に会社を立ちあげるのでもなく、それぞれがフリーランスや個人として繋がるのでもなく、それぞれが自分ひとりだけの会社をつくる。いわば、「会社」と「個人」のあいだにある関係性といったイメージだろうか。

一人ひとりが会社を持ち、その上で一緒に仕事をすれば、そこには「管理する」「管理される」といった不満を生みやすい要素はなく、きわめてフラットになる。関係性も広がりやすく、好きな人たちとフレキシブルにつながることもできる。なによりも価値観の押しつけあいやぶつけあいは生まれにくいかもしれない。仮に生まれたとしても適度な距離感のなかでお互いの角を丸めあうほどの軋轢は回避できるし、心地よいつながりを保ったまま同じ方向性をむしろ目指しやすいのではないか。そんな考えかたに共感し、魅力を感じた。

今思えば、株式会社人間に「会社を辞める」ではなく、「会社を離れる」と妙な伝えかたをしたのも、ここらへんの考えかたがベースになっているのかもしれない。

まとめ

読みかえしてみてると、やっぱり自分でも「なに言ってるんだこいつ」と思う。わたし自身、ここに書いたことのほとんどをあまり理解できていないような気もしている。

ただ、だからこそ、追求しがいはある。方向性として、その先になにかがあるような期待もある。なにもないかもしれないけれど、それならそれでひとつの答えになる。いずれにしろ、わけのわからないものを自分なりに噛みくだいていく過程自体も楽しみながら、一歩ずつ進んでいきたい。

ちなみに、社名は「一(ぼう)」とした。「なんでもないものとして見過ごされているものたちを肯定する」ような社名にしたいと考えていたら、不意に「棒」という漢字が浮かんだ。なんでもないことを肯定したいのであれば、自分自身がただの棒きれであろう。よく分からないけれど、そう思った。で、せっかくなら見た目ももっとなんでもないものにしようと、記号だけの社名は登記できないようなので、漢数字の「一」を使って「ぼう」と読ませることにした。法務局に聞いたら、漢字の読みかたは自由らしいので。

まあ、なんにせよ、現実問題として、まずは東京行きと会社設立の資金をなんとかしなければいけない。

5月末までは株式会社人間に所属するのだけれど、ありがたい計らいで、それまでの期間も会社設立の準備資金を確保するために、副業の範囲内で個人的な案件をやらせていただく許可をもらうことができた。

もし、この文章を読んで一緒に仕事してみようかなと感じた奇特な方がいたら、鼻くそをほじりながらでもいいので、右上の「CONTACT」から、もしくは下記のメールアドレスや、わたしのSNSアカウントまでご連絡いただけたら嬉しい。もちろん、直接でも。

contact@tadanobou.com
Twitter / Facebook

まだ空白の「WORKS」に、どんな案件が現れるのか。あるいは、現れないのか。うまくいったとしてもうまくいかなかったとしても、会社をつくるまでのことはもちろん、会社をつくってからのことも、このブログにときどき書きのこしていきたい。だれかしらのなにかしらの参考になりますように。

よろしくお願いします。