コピーライターとして独立して一年とすこしで分かったこと。

言葉で課題を解決する「一(ぼう)」を立ちあげ、コピーライターとして独立して一年。いや、正確には一年と二か月が過ぎた。

一周年の記事でも書いたほうがいいのかな。コピーライターとして独立して一年で分かったこと。よくあるだれかのタメになりそうで肥えの溜めにもならないような記事でもドヤ顔で書いたほうがいいのかな。

そんなことを考えていたらなんだか面倒になり、ブッというまに二か月が過ぎてしまった。というのも今、コピーライターとして独立して一年とすこしで分かったことなんて「とりあえず、もう一年やってみよう」くらいなのである。

たしかに会社員として働いていたころには考えられなかったほど収入はあがり、なんだかんだ案件も途切れることなく、「順風満帆だね」とも言っていただける。ただ、実際は「だれかへ独立をむやみにすすめるのはやめよう」と心に決めるような日々でもあった。

細かいことは缶チューハイ片手に散歩でもしながら話せばいいので省くけれど、あいだを取りすぎてあいだしかなくなってしまったような制作物が納品されようものなら「これでいいと本気で思ってます?」などとふだんは無口なくせに徹底的に言ってしまうわたしのことを使いづらいと感じる代理店や制作会社は独立一年目にして颯爽と消えていった。幸先の良いスタートである。

こんなことをしていたら家族ともども路頭に迷う日も近いな。そう酒をあおりながら、こんなことでなくなるような仕事なんてしなければいいさと酔いに任せて開きなおり、クライアントとダイレクトでやりとりできる案件を増やすことにした。

すると、いつのまにか、こんな融通がきかないわたしのことを信頼してくれるクライアントと、奇特な制作パートナーたちが残ってくれた。その結果、独立したての肩に入っていた力も抜けたのか、「それもいいですけど、こっちのほうがよくないですか?」などと柔和な表情を浮かべながら徹底的に言えるようになった気がする。たぶん。

なんにせよ、「独立一年目から直案件が多くていいですね」と言ってもらえることもあるけれど、そうするしかなかっただけの話であり、けっして順風満帆なんかではない。事実、最近になって独立直後の資金の流れを見てみたら、「よくもまあ、生まれたばかりの息子を抱えて、こんな危ない橋を渡っていたものだな」と呆れてしまった。東京から移住した大阪を離れ、東京へ再移住した見切り発車の日々を支えてくれた家族、友人、クライアント、そして独立当初からお世話になっている制作パートナーには心から感謝していることをこっそり書いておきたい。

独立してからもっとも多くを占めることになった案件といえばコンセプトワークだ。企業理念、事業やサービス・商品などのコンセプトづくりを当初の予想よりもはるかにたくさんやらせていただいた。コピーライターというよりは、いわゆる「コンセプター」という立ち位置に自分は向いているのかもしれない。

とくに今年に入ってからは、世の中に出るまで息のながい新規事業やサービスの開発、そもそも外に出ることのない社内プロジェクトや経営戦略構築の場などに呼ばれることが増えている。正直、ワークスとしてなかなか表立って紹介できないところはウズウズする。ただ、試行錯誤しながらではあるけれど、複数の企業と契約させていただいた「言葉顧問」なるサービスとも相まって、企業のより奥深くまで中長期的な視野で入っていけている実感はある。

ヒアリングをとおして課題を見極め、解決するロジックを組みあげ、目指すべき方向性をコンセプトとして言語化する。ただそれだけでさまざまなタイプのお客さんたちが喜んでくれる姿を目の当たりにして、このコンセプトづくりであればどんな分野でも自分にできることがありそうだとの手応えも恥ずかしながらある。

ただ、それらはまだ仮説に過ぎない。わずか一年とすこしで明確な結論など出るわけもない。だから、冒頭にも書いたように、いつまで続けられるかは知らないけれど、「とりあえず、もう一年やってみよう」ということしか今の自分には分からない。

本当にあっというまの一年だった。本当にあっというまの一生なのだろう。もう二度と会わないまま死に別れる人もいるにちがいない。個人的な話になるけれど最近、母親が倒れた。人は倒れるだなんて思わないときに倒れるのだ。いまのうちにもっと家族のために仕事をがんばろうと柄にもないことを思った。

ついでに柄にもないことをもうひとつ言うと、これからは一人ひとりとの出会いを大切にしていきたい。とくに、なんでもないような出会いを。一を立ちあげるときの理念に「なんでもない、ただの一であろう。」と掲げたように、「なんでもないことを肯定する」との気持ちに今も変わりはない。二度と会わないまま死に別れてしまうまえに、なにもなくても構わないので、なんでもない感じでご連絡をいただけたら嬉しい。

最後に、これもまだ仮説だけれど。言葉のまえではだれもが平らかなのではないかと思う。社会のすみっこへこぼれ落ちたわたしと社会のまんなかで活躍する企業がパートナーとして向きあうことができているのも、そのあいだに言葉があるからだ。言葉さえあれば、相手がだれであろうと自分を大きく見せることも小さく見せることもしなくていい。どうせ、言葉にその人のすべてが透けてしまうのだから。

そんないさぎよくておそろしい言葉を通して、これからも自分がいいと思える人たちや物たちと良くも悪くもそのまんまの姿で向きあっていきたい。そして、できればの話だけれど、コピーライティングに限らず、生きづらそうにしている人たちの背中におしつけがましくない力加減で触れられるような文章を描けるようになりたい。どうか「セクハラだ」なんて訴えられませんように。やっぱり、楽しそうに生きている人は素敵だけど、苦しそうに生きている人のほうが好きだ。

ちなみに余談として、最近は医療関係のプロジェクトに携わっていたせいか、「死」に強い興味がある。べつに死にたいわけではなくて、死は世界共通の言語であり、人間にとって最大の課題ではないかと思うからだ。そもそも、解決しようとすべきものですらないのかもしれないけれど。

とにかく、この死というものと言葉を通してポジティブに向きあってみたい。いわば「たのしい死」とでも言うような切り口で。なんだか意味不明な話なのでそろそろやめておくけれど、ここらへんの領域において言葉でお手伝いできることになにかピンときた方がいたら、ぜひお声がけを。

以上、だれかのタメになりそうで肥えの溜めにもならないような記事を終える。

 
追伸: おすすめの税理士さんがいたら教えてください。